江國香織『神様のボート』草子に見る、転校と子どもの人格形成
2016/06/26
大学生の時、「主人公がミチカに似ているから読んでみて。」と友人に渡された本がある。
直木賞作家・江國香織による小説『神様のボート』だ。
ただし主人公は二人いる。
葉子と、その娘の草子。
「かならず戻ってくる。そうして、俺はかならず葉子ちゃんを探しだす。どこにいても。」
そう言って姿を消した男(草子の父親)の帰りを、葉子は十年以上待ち続けている。
彼が自分たちを見付け出してくれるのを、ただひたすらに信じて。
しかし元・夫とのある約束から、葉子は草子を連れて生まれ育った東京を出ており、二人は”旅がらす”な生活を続けている。
一つところに二、三年しか留まらず、母娘で引越しを繰り返す生活。
まさに”旅するようにおひっこし”をしながら暮らす舞台として、高萩・佐倉・逗子といった関東の街々が登場する。
葉子はいつも、一つの街になじんでしまわないうちに引越しを決断する。
当然、転校を余儀なくされる草子。
物語は、葉子と草子の視点から交互に綴られる。
友人に似ていると言われたのは、娘の草子のほうだ。
「なんとなく、雰囲気が。あと、ものの見方とか。」
そんな漠然とした指摘だったが、実際に読んでみると、友人の言いたいことも分からないではない。
他者の目から見た自分と草子だけではなく、今までに出会った”転校生”の友人たちのことも鑑みるに、引越しや転校を繰り返したことのある子どもには、独特の共通点があると思うのだ。
“転校生”に培われる共通の長所
1.物分かりがいい。
とポジティブな言葉を選んでみたが、要は「子どもの意志ではどうしようもないことがある」ことを早いうちから悟るのだ。
ほんの少しの諦めのような気持ちがいつもあり、自分なりの気持ちの整理が上手くなる。
物語の中でも、草子は最初、心に思うことがありつつも転校を受け入れている。
そういうものなのだ、しょうがないのだと。
2.客観的にものごとを見ることができる。
言い換えると、空気が読めるようになる。
実際、最初は「客」のように扱われるので、そのうちにとにかく観察をする。
その後上手く立ち回るには、どんな学校でどんなクラスでどんな生徒たちなのかの把握が欠かせないからだ。
作中、草子が葉子にあるクラスメイトの話をするシーンがある。
彼を「なんか浮いてるの。」と説明する草子に、葉子は「浮いてるって、転校生のあなたより?」と聞き返す。
草子は憮然として「あたしはもっと上手くやってるもん。」と言う。
それを葉子は要領の良さと捉え、確かに要領は生まれつきのものもあるが、それは観察によっても磨かれるものなのだ。
3.自立心が旺盛になる。
転校生には自分の居場所が保障される感覚がないため、帰属意識はあまり強く育たない。
育ってしまえば離れるのがつらくなるため、予防線として敢えて育てない場合もある。
しかし一方で、一人の人間としての経験値自体は跳ね上がり、精神的に大人になる。
また大人による”有無を言わせない引越し”に対抗する手段として、自立への意識が強くなる。
「早く自分の意志で動けるようになりたい」という気持ちが人一倍早く育つのだ。
草子も成長するにつれ意志が強く固まっていき、ついに引越し生活を拒否して葉子の元を去る進路を選択する。
そのシーンは切ないが、小さな頃から引越しの連続ライフが行きつく、当然の所であるとも思う。
転校生による転校生考察
以上のような共通点があるからか、転校を経験したことのある子とは、やはり仲良くなりやすかった。
学校やクラスに対する見方、感じ方、距離感などが似ているから、ラクなのだ。
大人になってから出会った相手でも、「これはもしや」と思い問うてみると、案の定「○回転校したことがある」という経験談が返ってくることが多い。
転校が子どもに与える影響の良い側面を並べた結果となったが、当然、これらを得るのには別れが引き換えになっている。
離れたくない友だち、先生、家や街…その時は確かに、身を切られる思いであった。
また、新たな学校生活にはいつも、期待よりも不安のほうが大きかったのも事実である。
しかし大人になってみれば、痛みと引き換えに得た貴重な経験は必ず何らかの場面でアドバンテージとなる。
転校は短期的視点では子どもにとって可哀そうなものに見えてしまうが、長期的視点で見れば、得難いものを身につけさせてくれる体験だと言えるだろう。
さて冒頭から、「草子の父親は約束を守って葉子の元に現れるのか?」気になっている人も多いと思う。
最後の章では、彼が行方をくらませてから十六年が経っている。
淡々と描写される引越しの物語は、本当には大恋愛小説である。
ぜひ最後を確かめてみてほしい。
楽天ブックスでこの本を見る↓
価格:529円 |