引越し後にもれなく付いてくる”ちょっとしたうんざり”の正体たち
2016/07/04

前回記事では、引越しと転校が子どもの人格形成に及ぼす良い側面にスポットを当てた。
今回は、度重なる引越しがもたらすちょっぴり面倒な側面を挙げてみる。
と言っても、新居探しや荷造りといった一連の手間のかかる”イベント”そのものではなく、後からじんわり効いてくる煩わしさである。
別に一つ一つはどうってことない、当然のことだ。
だが短いスパンで繰り返すからこそ、「またか」と小さくうんざりしてしまうのだ。
中には「引越しあるある」「転勤族あるある」と感じられるものもあるかもしれない。
以下は毎回のように私自身が出くわすポイントだ。
どれくらい当てはまるだろうか?
1)一からの信頼できる病院・歯科医院探し
病院や歯科医院のない街はないだろう。
だが存在していればいいってものではない。
信頼できるか否かが重要なのだ(実際、ありえない非常識医師は存在する)。
体調を崩してから病院を検索するのではしんどい。
引越したら、新居での生活が落ち着いた頃に口コミなどにひと通り目を通し、困った時にすぐ行けるようブックマークしておく。
私が毎回チェックしておく項目は以下の通り。
- 総合病院、徒歩圏内の内科or呼吸器科
- 歯科
- 健診センター(毎年受けるため)
- 整骨院
私は元々喘息持ちだったので呼吸器科を調べておくが、その他アレルギーがあったら耳鼻科や皮膚科など、各自に必要な病院はなるべく早くリストアップしておくことをお勧めする。
2)選挙前にひと勉強必要
これは同じ地方でのみ引越しをしていたら、あまり気付かない点かもしない。
各候補者や政党の主張を毎回精査していくのは多かれ少なかれ同じことだが、地域が変われば特色がまるで違うのだ。
私は東北から関西に引越した時、地域の成り立ちや問題点といった社会的背景があまりに異なるので驚いた。
力や勢いを持っている政党もまるで違う。
街に歴史あり、である。
だがここでしっかり向き合っておくと、後々問題意識を持って行動できるようになる。
…まあ、すぐに引越してしまうんだが。
3)故郷が増えているようで、どこに帰ってもよそ者
故郷が増えるのは良いこと、とポジティブに言う人もいる。
だが厳密に言えば二年や三年では「故郷」と呼べるほどにはならない。
感覚的には「知っている街が増える」という程度だ。
ちょっと切ないが、”どこに帰ってもよそ者”は、引越し回数が多い人ほど味わう感情だと思う。
たとえば私は先日、一人で大阪に行って来た。
という事実を表すのに、大阪に「帰って来た」と言うべきかどうかで、まず迷う。
さすがに十年住んだ街などは「帰る」という言葉がしっくりくるが、実際に駅に降り立つと、すでに知らない表情をしていることに気付く。
勝手に疎外感を覚えてセンチメンタルな気分になったりする。
少しずつ、自分が「お客さん」になっていくのである。
「ただいま」と言える場所がいつまで経っても定まらない。
こんな時はやはり「人」だ。
そこで親しかった人に会って初めて、「帰って来た」と感じられるのである。
繰り返される上記のような事柄を「ふん、そんな些末なこと」と思えるようになりたいものだ。
だがそのレベルに達するには、私ももう少し経験値(と諦め)が必要そうだ。